2 ラジオの普及

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 大震災の時、ラヂオがあったら、被害をどれ程軽くしていただろうかとくやまれる。アメリカでは、大正九年(一九二〇)すでにラヂオ放送が開始されていたというが、日本では、大正一四年(一九二五)三月のことである。
 当時は、鉱石式受信機で、レシーバーを耳にあてて聞くという極めて幼稚なものであった。それでも、演芸やニュースを自由にきくことができるので人気は高かったが、高価なため一般に普及する迄には至らなかった。その後拡声機使用の受信機が発明され、放送も多様化し、一家団らんの中心となったが、普及は五〇%程度ではなかったかと思われる。戦時中は、大本営発表や空襲警報をきくためなくてはならぬものであったが、テレビが普及した現在は、停電の時に台風情報をきくか野球放送をきく位の特別な方面に用いられるようになっている。