テレビ放送が開始されたのは、昭和二八年(一九五三)である。勿論戦前から研究は行なわれ、昭和一五年には日本放送協会が最初の公開実験放送に成功を収めたが、戦争によって一時中断されたのである。テレビは、ラヂオとちがい、映像と音声とが、同時に写し出されるので、迫力のあるものであるが、最初は甚だしく高価で二、三〇万円もしたので、各村に一、二台あるに過ぎなかった。昭和三〇年の初めの頃刑部川上商店や、鴇谷の与川商店に入ったが、毎日見物人で大さわぎ、プロレスなどの時は特に賑かで、中には興奮して失神するものも出たという話しさえあった。その後、技術も改善され、価格も安くなり、漸次一般家庭に普及していった。そして、昭和三九年(一九六四)東京オリンピック開催の年には、普及率が上昇し、昭和四五年頃から大部分の家庭に普及し、同四九年頃には、殆んどの家にカラーテレビが備付けられるようになった。
ところで、ラヂオやテレビの普及は、我々の家庭に何をもたらしたであろうか。居ながらにして、世界の情報を得ることができ、流行など都会も田舎も同じように伝ってくる。そして、町民の生活や考え方を同一化していった。テレビっ子の出現も問題になってきて、いかにこれを利用するかが、今後の大きな課題であろう。