万葉集の防人の歌

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『万葉集』巻二十には天平勝宝七年(七五五)二月、防人(さきもり)として、遠く九州沿岸の防備のために、東国各地から動員せられた人たちの作歌、一〇二首がのせられているが、その上総国の防人(さきもり)として、刑部直三野および刑部直千国の作歌が載せられている。刑部とある所から現在の長柄町刑部(おかさべ)の地名と結びつけてこの地出身の人として、郷土史家はかつては考えていたこともあったが、これは誤りで、ともに現在の市原市出身の人であることはすでに『長柄町史』(八二頁)で述べていることなのでここでは再説しない。これらの防人(さきもり)の一人である上丁(かみのよぼろ)若麻績部羊(わかおみべのひつじ)が長柄郡から徴募されているので、あるいはこの現在の長柄町の区域内にその出身地をたどることが出来るかも知れないが、確証はない。この上総からの出身者の歌は十九首のうち拙劣な歌を棄てて十三首を採ったことが注記せられているが、この十三首のなかには正確にこの長柄町出身者の名をたどることは出来ないのではあるが、前掲の若麻績部羊(わかおみべのひつじ)の作歌一首をあげて、同じ想を心に描いて旅立った多くの郷土の先人の悲しみを偲びたいとおもう。
 
 筑紫辺(べ)に舳(へ)向かる船のいつしかも仕へまつりて本郷(くに)に舳(へ)向かも
 
  (筑紫に舟のへさきの向いているこの私が乗っている舟が、いつになったらその任務を終えて、なつかしい故郷へそのへさきを向けるのであろうか。)