今日ではその名も作品も忘れられてしまったが、明治・大正期の読書界の人気を集め、ベストセラーとなったものに村上浪六の諸作品がある。慶応元年(一八六五)堺に生まれ、本名は信(まこと)。失意のなかに新聞社の校正掛として勤める時、浪六のペンネームで書いた『三日月』(明治二四年)によって一躍世評の中心となり、以後、町奴(まちやっこ)が巷に仁侠をきそう主題の作品を発表した。時代物から転じて現代の社会にうつして侠客的人物を活躍せしめたものに『当世五人男』(明治二九年―三〇年)が明治の青年像を描いて愛読されたが、さらにのち『大正五人男』を執筆した。この作品の登場人物の一人のモデルに友次寿太郎(岡山県出身。昭和二〇年没五八才)がいる。浪六が知人の一人をモデルにとりあげたのであるが、法律書生が下宿の向いの八百屋に働いている美人を見染めてめでたく結婚、大いに社会正義の為に働く弁護士として活躍させている。この女性が徳増出身の網野さわ(昭和四七年没八〇才)であって、現在桜谷の友次卓次氏の両親であるが、このロマンスのモデルの一人がこの長柄出身であることは興味深い。なお、浪六の作品は通俗大衆小説の先駆として百篇をこえ、その出版部数は文壇の紅葉・露伴をこえていたが、大正末期からは実業男に活躍した。その作品は浪六全集四五巻(昭和二六年)として残っている。