今関天彭の詩碑

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なお仲村氏の前庭には漢詩人中国研究家として著名な今関天彭の漢詩の碑が建てられている。天彭は号で本名は寿麿。明治一五年東金で生まれ、一七才で上京、森槐南・国分青厓などに漢詩漢文を学び、のち国民雑誌社刊行の『訳文大日本史』の業に従った。大正五年(一九〇六)以降、朝鮮総督府顧問、また南京政府汪兆銘の文事顧問、南京大学講師などの職にあり、帰国後は漢詩講話会を開き雑誌「雅友」を発行七七号に及んだ。『天彭詩集』(一二巻)のほか『近代支那の学芸』『漢詩大系宋詩選』『支那戯曲集』『東洋画論集成』など著述すこぶる多く、その学は経・子・史・集のほか書画演劇など中国文化全般におよび、北京今関研究所で発表したパンフレット三千におよび、なお未刊のものも多い。昭和四五年(一九七〇)東京・中野の自宅に没した。「人となり円融高雅、眉目秀潔、飄々として高士の風格があった」(『日本人名大辞典』)といわれている。仲村氏宅を訪れたのは昭和二一年の八月十五日であり、碑文の詩はその時の作である。
 山気清澄海月晴満尊美酒故人情 十年初聴村鶏響 知自今秋入太平 余不聞此声 己十年余
      宿巽山荘 昭和丙戊八月 今関天彭印
 

今関天彭詩碑

 巽山(そんざん)とは仲村多治見氏の号で、天彭の命名であるという。漢詩の文学碑はその例稀でその点珍重すべきであろう。なお仲村氏宅には詩人の白鳥省吾、画家の今関啓司椿貞雄などがしばしば訪れた。今関啓司は長南町出身。春陽会の創立にも参加した著名な洋画家で昭和二一年春茂原市で病没したが、その作品がいま仲村家の一室に常時展示されている。