伊呂波叢誌

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明治一六年(一八八三)に地方巡察使として千葉県を巡察した関口隆吉が七つの雑誌を報告している。(『千葉県史・明治編八七四頁』)その最後に
 
 伊呂波叢誌 世態に関する余説雑誌報を記載するを旨とす
 発売高 欠く
 社主 上総国長柄郡舟木村二七番地 多賀要作
 
 また『東天紅』所載千葉県関係雑誌として
 
 いろは叢誌(創刊年月) 一六年三月

 
 の名が見える。この『東天紅』というのは東大法学部の「明治雑誌新聞文庫」の目録である筈だがそれを修訂して一号一号丹念に現物と照合したという近刊(昭和五四年)の『明治新聞雑誌文庫所蔵雑誌目録』および『新聞目録』にはその名を見出し得ず閲覧出来なかった。またこの発行所であった多賀家(当主太郎氏)を訪ねてその閲覧を願ったが一冊も現存せず、残念ながら現在までそれを実見することが出来ない。おそらくはこの地区の旧家の庫中に知られないままに存在するであろうが、気づいた方は御知らせ願いたい。多賀家は池和田城主の子孫と伝えこの地方の旧家で、明治中期にはこの地方の改進党の指導的位地にあったという。この雑誌が何号まで発行せられたかも不明だが、当時の世相・動向などが知り得るのみならず、長柄町の唯一の刊行雑誌であるのでその将来の発見が期待される。