長柄町区域内で発行された新聞としてはただ一つこの名があげられる。発行者高吉勤之助は国府里の人。皇室中心主義を標傍乃木大将を崇拝して乃木講の流布につとめ、質実剛健を旨として寒中にも足袋をはかず、招かれざるに小学校、青年団等の会合に出席、熱弁をふるう奇人ともいうべき人であったが、大正十二年九月一二日、東総時報を発行した。周辺町村の報導や投書および自論の主張を内容としている。創刊号はタブロイド版活字四頁、月二回発行と定めていたが、時には休刊し、あるいは昭和二〇年代には油印となったこともあるが、ともあれ歿年に至るまでおよそ七〇〇号以上の発行を継続したことは偉としなければならない。なお郷賢顕彰会を組織して、関和知(衆院議員)横堀治三郎(衆院議員工学博士)の彰徳碑の郷里への移転、石井菊次郎(外相)トーマス・ベッティ(外務省顧問)の頌徳碑、白井喜右衛門(県議)紀念碑建立などの事業を行った。昭和四二年八八才にて歿した。
高吉勤之助