昭和二五年(一九五〇)八月鴇谷の日輪寺において準備会を催した。私たちの前に経済思想政治教育その他の多くの問題があり、それらは一個人によっての理解研究は限度があり、各方面の人たちの意見を聞き、切磋琢磨しようという趣旨で月一回の会合を目標に発足、九月以降は毎月一回、後には隔月となった。小・中学校の先生および農村の青年層の参加が多く、たえず一〇名以上の参加を見た。秋山喜美夫・石和田喜佐夫・風戸貞子・渋川信一・高橋好・友次卓次・平川恵子・横山吉太郎・渡辺泰之などの名が出席者名簿の中に多く見出される。これらの青年のなかから後に在村の中堅として活躍する人たちが輩出したが、このような自由討究の場が必要なことが伺われる。その後、会員の多忙や、離村などの為、昭和二八年第二二回の会を最後として解散した。銀杏会は日輪寺門前の銀杏の大木によって命名したものである。