花月連には大原町、花月館貞雄宗匠の門下が多く、明治の未期より花凌庵英峯、奥田如雪の指導のもとに、十数人の俳人が熱心に精進を続けていた。英峯・如雪は花月館門下の最右翼で夷隅の花月連などにもその名は知られていた。大東亜戦争が始まった頃英峯・如雪・貞山を除いた人達は皆故人となり衰微の一途を辿ったのである。連員には、右の三名を始め、一松、喜月、流水、英学、東江、安閑居、東里などが居った。東里のことは、南総千年吟社の項にくわしく述べることにする。花凌庵英峯は本名精一郎、昭和三七年五月死去、奥田如雪は英峯につぐ花月館の門下で東京在住、終戦後帰郷俳句に精進する。他は皆同連の中堅俳人である。