戦後の花甫連、花月連、蛙声会、千年吟社の各結社も統合した。花月連の山越英峯、奥田如雪、と花甫連の旦聞庵雄哉、喜多村柳笑、鶴岡洛舟、泉水敏夫と千年吟社より、文墨軒日精、墨田東里、秋山秋月、加藤喜泉、長柄地区より吉井玉城などが集り談合の結果、四囲の情勢に歩調を合せ長柄俳句会を発足させた。然し幾年も経ぬうちに、雄哉、東里、日精と指導者達が次々に物故してしまった。その後主宰的立場に奥田如雪が立ち町文化祭俳句大会を開催し町に同調した。だが如雪も健康上と環境の変異により施設入所の余儀なきため、秋山秋月がその後を継いで、合議制で月例会、大会を開催したので、長柄俳句会の存在も漸く町内外に認められるようになった。