横穴墓がつくられたのは、古墳(こふん)時代の終わりごろです。九州から東北地方南部まで分布しています。
横穴墓は、丘陵地の斜面に横に穴を掘ってお墓としたことから、「よこあなぼ」と呼ばれています。
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また、横穴墓は、数基がまとまって分布しており、横穴墓1基には、複数の遺体が安置されています。
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横穴墓は、遺体を安置した「玄室(げんしつ)」、「玄室」までの通路として「羨道(せんどう)」、供養などのまつりごとをした「墓前域(ぼぜんいき)」と呼ばれる場所があります。
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横穴墓模式図
とくに、長生郡内の横穴墓は、「高壇式(こうだんしき)」と呼ばれ、玄室が一段高い位置に造られており、全国でもめずらしい特色のある横穴墓です。
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高壇式模式図