岩村遠山本家の滅亡

14 ~ 14 / 922ページ
鎌倉幕府創設の源頼朝から、加藤次景廉は美濃国遠山荘などの地頭に任命された。
 それ以来、岩村を本拠に遠山本家として繁栄してきたが、戦国時代になり、信長勢力伸長と共に遠山景前は、信長の叔母を娶り、その子景任は信長の子御坊丸を養子としたというように信長に組した。ところが、元亀三年(一五七二)遠山景任の死後、岩村城は武田方の秋山晴近に占領されてしまった。天正三年(一五七五)一一月、信長の子信忠を総大将とする織田軍に攻められ城は落城の運命にあい、遠山本家の勢力はまったく亡んでしまった。