森氏三代

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織田信長は、岩村城を回復することにより東濃の平定を完了し、岩村へ河尻鎮吉(肥後守、与兵衛)を入城させた。天正一〇年(一五八二)に武田勝頼自害し、武田氏滅亡となる。この年三月まで河尻鎮吉は岩村城主であったが、甲州攻めの功を認められて甲斐国及び信濃国諏訪郡を賜わり転じ、そのあとは森蘭丸が岩村城主となった。
 森蘭丸は、この二か月後の天正一〇年六月、本能寺の変で主君信長に殉じた。本能寺の変後、兼山城の森長可は秀吉の力を背景に東濃四郡に勢力を拡げた。長可に組しない勢力の苗木遠山、明知遠山、小里の各氏は家康を頼って東濃より去っていった。
 森氏の勢力は一二万七〇〇〇石というが、岩村には城代として各務兵庫をおいた。天正一二年(一五八四)夏、秀吉と家康が戦った長久手の戦で森長可は討死し、その弟である森忠政(仙千代)が後を継いだ。
 このように岩村城は天正一〇年から、森忠政が慶長四年(一五九九)信濃国川中島に転じるまで、約一七年間、森氏の支配下にあった。