取潰しになった大名領中幕領に編入された土地を管理するため、家康は腹心の大久保石見守長安を美濃国奉行に任命した。長安は、関ヶ原戦直後の一〇月に、木曽、東濃地方の攻略に軍功があり、またこの地方に縁故の深い木曽家の旧臣山村三郎左衛門道祐(山村甚兵衛良勝の父)を木曽代官に起用し、木曽山、木曽川、飛驒川の一貫支配を命じた。また、裏木曽と呼ばれた加子母、付知、川上の三か村を苗木の遠山友政に預けた。
その後も長安は、要地を幕府直轄領に組入れ、慶長一四年(一六〇九)には検地を施行して石高の増加をはかった。
太閤検 美濃国 五四万石 (検地目録)
石見検 〃 五八万八千五百九石(元和郷高帳)