初代  遠山久兵衛友政  慶長五-元和五年

45 ~ 45 / 922ページ
 友政は慶長五年関ヶ原役の功により、家康から天正一一年以来一八年で苗木の旧領を安堵され、恵那・加茂郡のうち(恵那郡一一村、加茂郡三五村)一万〇五二一石五斗二升を領有した。友政は慶長七年、代官、庄屋勤務定書を公布した。慶長一〇年、永不作田畑開発定書を出して開墾奨励につとめ、二一二九石余の新田高をえた。
 慶長一五年駿府本丸造営につき普請用材奉行を命ぜられる。同一九年九月菩提寺として雲林寺を創建する。同年一二月大坂冬の陣には幕命によって伊勢国桑名城を守り、翌元和元年夏の陣には伊勢国亀山城主松平下総守忠明に属して出陣。元和五年一二月一九日苗木で没す。享年六四歳。