四代  遠山和泉守友春  延宝三-正徳二年

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 幼名五郎八、寛文元年六月六日苗木に生れ、延宝三年七月六日一五歳で父の遺領を継ぐ。この月二六日将軍にお目見、同四年一二月二六日和泉守となり、翌五年五月はじめて帰城する。同八年八月晦日志摩国鳥羽城主内藤忠勝が除封となると、その地域を収め在番の命をうけ、翌天和元年四月新城主土井利益に引渡した。天和元年六月一五日幕府巡見使領内通行、貞享三年六月二三日千村平蔵義道を命によって預かる。同六年以後呉服橋門番、日比谷門番、幸橋門番、駿府加番、半蔵門番、増上寺火の番などを勤めた。元禄一五年岩村城主丹羽氏音が家中騒動の不始末を問われて越後高柳へ左遷されると、友春はその城地受取り役を命ぜられた。同年一〇月二九日まで在番した。正徳二年二月一六日隠居し剃髪して友山と号す。同四年三月二日享年五四歳にて没す。