六代  遠山豊前守友将  享保七-一七年

47 ~ 47 / 922ページ
 正徳五年九月九日苗木において出生し、幼名を勝三郎と称した。享保七年六月一五日八歳で父の遺領を継ぐ。この日叔父(五代友由の弟)左兵衛に五〇〇石を分知し、高一万〇〇二一石五斗二升となる。同一〇年八月一五日将軍吉宗にお目見、同一二年一二月一八日豊前守に任ぜられ、同一四年三月一五日はじめて帰城する。これより幸橋門番、日比谷門番、駿府加番を相勤める。友将は襲封した翌八年三月御家御条目二一ヵ条を公布、身分秩序の維持、質素検約の励行を規定した。同一七年四月二一日江戸に没す。享年一八歳。