五代友由の弟で幼名を亀次郎、左兵衛といい、宝永二年一〇月七日苗木において出生。享保一七年閏五月二五日友将に嗣子がなかったためその遺領を継ぎ、従来の五〇〇石(加茂郡寺前村、大野村、吉田村、小野村)は上知処分を受け同年八月一七日代官長谷川庄五郎へ引渡した。同年一二月衣類制限を緩和した。またこの年一二月一六日和泉守に任ぜられた。享保一八年三月一一日松平播磨守頼明の三男、越之進を養って嗣子と定めた。
友央は日比谷門番、常盤橋門番を勤め、元文五年八月二七日隠居し、越之進へ家督を譲る。明和九年六月一三日苗木で没す。享年六八歳。