八代  遠山丹後守友明  元文五-宝暦三年

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 松平播磨守頼明(常陸国府中二万石)の三男で、幼名を越之進といい、享保二年一月一一日に出生。享保一八年三月一一日友央の養子となり、同年四月五日遠山家に移る。同年五月一日将軍吉宗に謁し、一二月一八日丹後守に任ぜられ、翌一九年二月一二日友張と改めた。元文五年八月二七日家督を継ぐ。寛保二年六月二日佐渡守に改める。延享二年一月二九日友央の実子左吉を養子とする。常盤橋、呉服橋、日比谷の諸門番を相ついで勤めた。前代友央分知五〇〇石上知のとき、新田・古田が入り混っていたので、延享二年七月新田を本田に代え、下野村を上知し、残余は上野村に編入した。延享五年五月一五日友明と改名する。宝暦三年六月朔日江戸で没す。享年三七歳。