九代  遠山和泉守友清  宝暦三-安永六年

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 七代城主友央の二男で幼名は左吉、享保二〇年五月一四日江戸で出生。延享二年一月二九日八代友明の養子となる。寛延三年一二月一八日出羽守となり、宝暦三年七月二三日家督を継ぐ。鍛冶橋門、幸橋門、日比谷門、呉服橋門の諸門を相ついで警衛した。
 安永二年一一月飛驒の安永騒動のとき、代官大原彦四郎の要請により、物頭神山新左衛門ら総勢三五〇余人が出役した。同年一二月一五日飛驒鎮定によって帰城した。安永五年三月七日和泉守と改名。同六年一一月三日願によって隠居する。安永一〇年正月一二日麻布下屋敷にて没す。享年四七歳。