一一代 遠山美濃守友壽  寛政四-天保九年

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 天明六年一一月二五日に生まれ、幼名を左吉と称す。天明八年四月一二日友隨の嫡孫となり、寛政四年一二月二一日家督を継ぐも、七歳のため相良壱岐守が後見となる。その後鍛冶橋御門番、駿府加番を勤めた。享和元年刑部少輔に、さらに文化一一年改めて美濃守になった。
 これより先、友壽は享和元年重役心得を申し渡し、指導者の心構えと指導の重要性を強調した。文化四年三月には乗馬仕立之主意を出し、先代友隨の諸士心得の徹底を図った。同一一年三月領財政の窮乏に近江国信楽代官取扱の宿場助成貸付金三〇〇〇両の借用を、領内三三か村を引当に申し込んで八〇〇両の融通を受けるとともに倹約令をくり返し、文政一三年七月衣類の倹約規定の申請書が側向の者へ出された。また、天保三年一二月の倹約令で、家中借上米が翌年より三か年間実施となった。領財政は好転の兆をみせないで、借米期間は延長に延長を重ねた。友壽は天保九年一二月二一日没す。享年五三歳。