初代 丹羽氏信 勘助 式部少輔
天正一八年伊勢国に出生。慶長六年遺領(三河国伊保)を継ぐ。寛永一五年一二月岩村城に転じ二万石を領する。同二一年大坂加番。正保三年五月江戸で没す。享年五七歳。
二代 丹羽氏定 勘介 式部少輔
慶長一一年三河国伊保に出生。正保三年一一月相続。岩村二万石を領する。弟猪之助氏春に一〇〇〇石を分ける。猪之助旗本に列せられる。正保四年大坂加番。承応二年同じく。慶安四年七月松平能登守定政遁世し家滅する。これにより氏定、岡崎城主水野監物忠善と共に其領城三河国刈谷に赴き、城を請取る。明暦三年四月江戸にて没す。享年四三歳。
三代 丹羽氏純 勘介 式部少輔
寛永一四年出生。明暦三年六月相続。岩村二万石を領する。寛文九年四月大坂加番。延宝二年九月岩村にて没す。享年三八歳。
四代 丹羽氏明 勘介 長門守
寛文七年岩村にて出生。延宝二年一一月家督相続。二万石を領する。貞享三年三月疱瘡に罹り二〇歳で没す。
五代 丹羽氏音 荘之介 和泉守
延宝六年出生。貞享三年閏三月家督相続。二万石を領する。元禄五年越中守に任ぜられる。同八年壱岐守と改める。同一四年和泉守と改める。同一五年五月徒党事件あり。同年六月徒党三〇士処刑され、城主和泉守は政令疎怠の故を以て本領半減閉門となる。同年七月丹羽氏音、越後国頸城郡高柳に移される。高柳邑一万石。
同年遠山和泉守友春(苗木城主)は、堀大和守(信州飯田城主)と共に、幕命をうけて岩村城を請取り、家臣をして在番せしめる。宝永二年四月没す。享年二八歳。