一〇代 山村良啓 甚兵衛 三郎九郎

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 正徳元年生。延享三年家督。良啓の事績は多く伝わっていない。谷中の綱紀一新の後をうけて、庶政よく行われたものの如く、宝暦四年正月一五日、尾張表において城主徳川宗勝より賞詞があった。
 
               山村甚兵衛
  木曽谷中之義元文五申年復先規一圓に御預け
  被遊候以来追々風儀も宜諸事精密に取計
  別而裁許行届候段達 御聴御機嫌に被思召
  候此旨申聞候様にと御意候  (御触書)
 
 明和六年二月二日、贄川より始って、奈良井、宮越、原野、上田の村民達、凡そ一二〇〇~一三〇〇人程一揆を起して福島に詰めかけたが、山村家役人の鎮撫により翌三日未明に退散した。この事件は山村家より尾張表に報告され、尾張表より役人が出張して取り調べを行ったが、記録には単に事件が記されているのみで、一揆の原因もまた処分の結果もわからない。天明六年一二月一三日没す。