一四代 徳川慶勝 幼名義恕(くみ) 幼名秀之助

78 ~ 79 / 922ページ
 文政七年三月一五日支流高須侯松平義建の第二子として江戸四谷邸に生まれる。嘉永二年六月慶〓の後を継ぐ。
 安政五年七月将軍家定、慶勝に隠居を命じ戸山邸に幽閉する。万延元年九月四日将軍家茂、慶勝の幽閉を解く。
 文久二年権大納言に任ぜられる。元治元年八月長州征伐総督に任ぜられ出征する。
 明治元年近隣の侯伯をして勤王の証書を呈出せしめ、王室に帰向せざるものなきを復命する。
 同年正月二四日特旨を以て金一五〇〇〇両を受ける。同年四月二八日甲信へ征討の兵を出す命を受け自らも出陣する。
 明治二年六月二日慶勝・義宜の二人に甲信二州を鎮圧した功を賞して永世禄一万五〇〇〇石を与えられる。
 同三年一二月三日名古屋藩知事を命ぜられる。同四年七月一〇日知事を免ぜられる。
 同八年一一月義宜没して嗣子なきを以て再び家を継ぐ。同一三年九月家を養嗣義礼に譲る。
 同一六年八月一日没す。享年六〇歳。