遠山友政に従った家臣は、遠山次郎左衛門、奥田次郎左衛門、伊藤五郎左衛門、小倉猪右衛門、井口与三左衛門、保母清右衛門、井口善右衛門らで、苗木開城以来の者であった。次いで陶山茂左衛門、纐纈藤左衛門などが馳参じた。そして、中津川、駒場に放火し、瀬戸の渡しから真地平に至り、苗木城を攻め、城代関治兵衛を下して、ここに旧城を奪還した。
このように「高森根元記」は、苗木入府の際の九名の主だった人々を記し、以後、彼等あるいは一族が、苗木遠山家成立期の重臣として、また、その後も遠山家の要人として重きをなし、この九名の一族が中心となって、次第に家臣団が編成されていった。