「分限帳」或はこれに類する史料によって、正保から享保にかけて、家臣の数的な推移をみると、総家臣数は正保二年(一六四五)では二一二名であるのに対し、年を追って増加し、元禄一三年(一七〇〇)には最高の三五七名をかぞえ、正保の約一、七倍増となっている。そして、その後はまた減少の傾向をたどっていることがわかる(Ⅰ-8表)。その推移を階層別にみることにする。家臣の階層については、正保二年の分限帳では大別して給人・中小姓・徒士・足軽・中間・下男に区分されているので、これに従うこととする。一般に給人は、遠山家の上級家臣で、中小姓・徒士は中級家臣で、足軽以下は下級家臣である。階層別にみると、給人層は全体を通しほとんど変化がないのに、中小姓・徒士が約二・一倍、足軽は一・三倍、中間が一・五倍と増加を示していることがわかる。
Ⅰ-8 苗木領遠山家家臣数の推移