給人層の変遷

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正保元年(一六四四)から慶応二年(一八六六)まで約二〇〇年余の給人層の変遷をみると、その家臣の数、知行高は、正保から享保期まではそれほど差異は認められないが、それ以降は高知行者が少なくなり、給人数も知行高も漸減し、給人一人平均高も弘化以降は一〇〇石を割るまでに至っている。
 Ⅰ-9表のように、給人数については、寛文一三年(一六七三)二七名であったのが、約二〇〇年後の幕末慶応二年には、二一名と減員し、知行高もこの二時期を比較してみると、総知行高数三四二〇石に対し慶応二年は、二〇二〇石物成高は三つ成で支給されるとすると一〇二六石に対し、六〇六石となり、実にその差は四二〇石の削減ということになる。しかし、各給人の系譜を推察してみるに、大きい異動はなかったようである。

Ⅰ-9 苗木領遠山家給人の高別・人別変遷


Ⅰ-10 苗木遠山家知行取家臣表(文政五年)(県史・通史編近世上)