Ⅰ-11 中小姓・徒士の員数
まずこの層は、総数からみると、正保二年(一六四五)五二名を数えたが、万治元年(一六五八)には、急速に増員となり、その後は年度により多少の増減をみるものの、およそ一〇〇余名の員数で固定していたと考えることができる。中小姓の俸給は「切米」「扶持」「金切符」などの名目をもっており、領内の農民から徴収した貢租米から支給された。
その支給法はいろいろで、正保二年(一六四五)では中小姓・徒士層は、最高一一石二人扶持、最低の徒士は一石で切米・扶持米のみであったが、寛文以降は切符金が併用されるようになってきていることがわかる(Ⅰ-12表)。
Ⅰ-12 中小姓・徒士俸禄と数的変化
幕末になってくると、一定のところに集中し、また慶応二年(一八六六)では弘化三年(一八四六)より受給率が高くなっている点が注目される。
また、Ⅰ-13表では、切米取の待遇の変遷を寛文一一年(一六七一)と一五〇年後の文政五年(一八二二)とを対比すると、その実人員と切米合計は減少しているが、扶持米合計は三倍余となり、切符金合計もまた六八%の増加で、総計において約一五%の増加となっており、また一人平均収入は八石一斗二升から一〇石七斗一升と三一%増加している。
Ⅰ-13 苗木遠山家切米取士分の両年比較