苗木遠山家の職制

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すべての家臣は、それぞれの「格」に位置づけられ、軍事編成に組み込まれて軍事的役割を果たすのであるが、支配が確立する過程において、行政的分野が拡張されてゆくにつれて、一層分化・整備された行政的役職をも、分掌するようになる。
 ここでは主として苗木遠山家の給人・中小姓・徒士の職別についてみよう。まず支配確立期の寛文一一年(一六七一)の「信濃守様御代分限帳」によると、Ⅰ-17表のようになる。

Ⅰ-17 寛文一一年の職制

 この「分限帳」でわかることは、給人格でも、上位の主要なポストは領主の一族によって占められていることである。また給人でも二六名中一七名が役職について、他は平給人で無役となっている。中小姓・徒士については、その区別なく役職が記載されており、稍不明確であるが、約二〇の役職に区分されていることがわかる。
 この後、これらの役職がどのように変遷していったか、その経緯については、限られた史料の中で考えてみると、給人通については、末期頃兼職は行われているもののその役職名に大きい変化はないようである。中小姓・徒士通については、その役職が非常に増加していることが目立つ。またその役職名についても、それぞれの時期における領主の立場を象徴する職名の見られることも特筆すべきである。参考までに安永四年(一七七五)・慶応二年(一八六六)の職制表をかかげることとする。

Ⅰ-18 安永四年の職制表(苗木藩政史)


Ⅰ-19 慶応二年の職制表(苗木藩政史)