蔵前知行制とは家臣に対し、その禄に応じて給料として領主から米や貨幣を与えるというしくみである。さきにみた地方知行を受けるものは、給人層でしかも上層の家臣が対象であったが、蔵米知行制も給人層に給与されるものである。
苗木遠山家の場合は、どの位給与されたか「寛文四辰年(一六六四)分侍…足軽・中間・下男・舟頭切米・金切符同扶持方之帳」によると「家中知行方 一 [高三百石物成米九十石] 遠山勘兵衛 ・ 一 [同二百石物成米六十石] 纐纈一兵衛」となっている。このことは、高三〇〇石の知行取りである遠山勘兵衛は九〇石が支給され、纐纈一兵衛は高が二〇〇石であるので六〇石が支給される意味である。
知行高とは一定の土地の生産高を示すものであるから、一〇〇石取りの給人は、そのまま一〇〇石が支給されるのではなく、一〇〇石に対する一定割合高が支給される。この割合(率)を免という。その割合高を「物成米」という。従って前記資料によって、三〇〇石に対し、九〇石が支給されるので、九〇石を物成米・九〇石は三〇〇石の三割にあたるので、この率を「免三ツ」という。従って纐纈一兵衛も免は「三ツ」である。このように苗木領の免は、苗木領成立当初から幕末まで「三ツ」で割合は変らなかった。従って苗木遠山家財政の窮乏によっても免の引下げはなかったので知行高の減少によって、調整をとっていたことが想像される。