これらの表によって道具とその数量がわかり総軍備がわかる。人数については、その末尾に「足軽合七〇人」「中間合一七〇人」の計二四〇人と記されているが、しかしこれは足軽、中間の出役数であって総員数ではない。
Ⅰ-24 軍役人数・道具
従って総動員数については、Ⅰ-25表「軍役人員」(明暦年中)によって、諸役とその員数がわかる。しかし、ここでは動員計画の三四六名であるが、当時の家臣団の総数は、二七五名であるので、これをはるかに上廻ることになる。このことは足軽、中間が規定員数より多く動員されている結果と考えられる。このことは、どこかから動員をしなければならないが、当然農民による軍役負担をはかる以外に方法がなかったであろう。このことは、加茂郡の郷足軽、郷中間の請証文で遠山家から出役を割賦した時の請書によって明らかである。こうした多人数の動員は幕府の軍役を整えるということだけでなく、苗木領遠山家の最大の軍事体制であったと考えることができる。
Ⅰ-25 軍役人数(明暦年中)