寛政五年(一七九三)の軍役人員、道具をあげるとⅠ-26表のようである。
Ⅰ-26 寛政5年の軍役人員と道具
まず動員総数であるが五三四名で本人数三七四名、人足一六〇名ということになる。その本人数の内訳は馬上(家老一・給人一四)一五騎、中小姓格一六人、徒士格二一人、足軽一〇〇人、刀指五八人、中間・下男一〇〇人、又者六四人となる。乗馬二〇匹、軽尻馬九匹、他に小荷駄(馬に負わせる荷物)は家老は一人に付一八メ目、一台三メ目であるので六台。給人は一人六メ目で一四人であるので二八台、中小姓格は一人三メ目であるが軽尻馬等の関係で一台。徒士格は七台。足軽は二五台、中間は一六台四メ目、合計八三台と四メ目、一匹に六台付であるので、一四匹必要となる。軽尻馬九匹その他渋紙等の諸道具に六疋合せて二九匹、従って口取も二九人必要となる。
更に人馬の食糧も必要となる。人の食糧は一人八合で五三四人分は四石二斗七升二合で、これを米俵にすると、一四俵二斗七升二合となり、馬五匹と口取五人が必要となる。また馬の飼料であるが、馬は乗馬二〇匹と小荷駄二九匹である。乗馬は一匹につき大豆三升、従って全部で六斗、小荷駄馬は一匹大豆一升宛、従って二斗九升必要ということになる。このように人数の動員は総家臣数からみると、はるかに上まわるので、農村からの動員が必要となるし、また人、物資を運ぶ馬の確保も大切な問題となることがわかる。