友壽(一一代)は先代友隨の寛政二年(一七九〇)諸士心得の趣旨を徹底させるために、文化四年(一八〇七)三月「御在所仕込乗馬仕立之主意」を出した。これは幕府軍役の負担を規定したものであり、軍役を負担するには、馬が必要となる。その馬の飼育と調教を指示したものである。
幕府は時として武器や軍馬の不意見分をしたので、こうしたことに対する備えのための手だてとして行なったものと考えられる。これによれば一応飼育調教された馬を、家中や村方の希望者に貸出しし、どのように使用してもよい。そして、馬の病気、負傷の責任は問わない。家中への貸出し馬は、乗馬、馬術訓練に使用し、また村方への貸出し馬は、荷つけ、肥ふみ、労力として百姓の困窮を救済することをねらい、さらに、すたり馬は、希望者へ無償で払い下げるという飼育方法である。従ってこの「乗馬仕立之主意」は、大名が重要な軍役負担能力の充実と、村方困窮救済の一石二鳥をねらったところが興味深い。