古代の恵奈郡には、淡気(たむけ)、安岐(あぎ)、竹折(たけおり)、坂本(さかもと)、絵上(えのかみ)、絵下(えのしも)の六郷があったという(駅家郷を入れれば七つ)。この村は大和朝廷の政治的要求によって、五〇戸単位として設定したものであって生産、生活の単位としての、むら(集落)ではない。
村のあり方を考察する場合に、政治的要求と生産と生活の要求との両側面をみる必要がある。生産と生活の要求からという場合にも、より血縁的なまとまりで成立したものと、各地より集まった人たちによって開発され成立したものがある。
江戸時代に入ってからのむらの成立の過程にこの二つの型がある。阿木村の枝郷青野村は前者であり、同村の枝郷広岡新田村が後者である。