一 本村とは別個に水帳(土地台帳)を備付けている
一 知行主からも本郷とは別個に、単独で免定(徴税令書)が出されている
一 単独で年貢上納をする。従って枝村の郷倉を設置している
一 村入費(村費)も本郷とは全く別個計算である
一 助郷は表高(太閤検の場合多し、古高)に掛るので負担する。従って古高でない新田枝村は助郷はなく、本郷を助ける又助郷となる
一 村役人として本郷とは別に庄屋又は組頭をおき、本郷同様な帳簿冊(宗門改めなど)を備えている
枝村は以上のようなもので独立した一村と何等変りがなく、ただ本郷と枝村とは同一地籍内にあって表高が一緒である。この枝村として
(1) 千旦林村の内 辻原・中新井村・岩屋堂 村高五〇石
(2) 飯沼村の内 大野村 村高九二石二斗
が古高をもつ村としてあげられる。
辻原・中新井村については、宗門帳、免定などははっきり別になっており、現存のもっとも古い宗門帳下書の表書きには、
正徳二年 (一七一二) 恵奈郡栴壇林村之内辻原宗門御改 辰之二月 日 |
(坂本・林家文書) |
となっているし、同じ辻原・中新井村の千村平右衛門(久々利方)の免定第一行は
一 高五拾六石八斗五升四合 [辻原 中新井] 村内
とかかれ、最末には小さく
辻原
中新井 村内
庄屋
組頭
惣百姓中
となっていて、この村についての形式は現存免定全部一定している。
大野村については最初にもふれたが、元禄一六年(一七〇三)の差出帳の表書きに「濃州恵那郡飯沼村枝郷大野村指出口」と書かれ差出人として 大野村庄屋 伊兵衛、同所組頭 次郎右衛門となって飯沼村枝村であることを示している。
この外に「濃陽志略」、「新撰美濃志」などには、中津川「川上(かおれ)」を支村とし、濃州徇行記には中津川の「川上」「中村」「実戸(さんと)」「上金(うえがね)」「子野」「北野」を支村と記している。中津川村は大きく宿(町分)と在方にわけられるが、「濃州徇行記」にあげている「支村」がすべて枝村であるかどうかは断定できない。