これらの下代は、木曽氏の旧臣で土地の事情に詳しいために任用されたものであり、豊臣時代の代官任用の一例を示しており江戸時代初期もこうした事情は受けつがれ、代官は支配者の意をうけてその支配方を請負っていた。
しかし、幕府美濃国代官岡田善政は手代(代官の下役)には在地土豪を起用しながらも、しだいに手代の年貢請負人的性格を奪って、代官の陣屋支配統一を意図していった。この動きは諸大名、旗本領においても同様であり、江戸時代も時代を下るにつれて、家臣の中より任命の官僚的代官にかわっていった。
年貢請負