私領上知と幕府代官

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享保一七年(一七三二)、苗木領主遠山和泉守友央(第七代)が、分家より入って宗家を継ぐに当り、旧領五〇〇石は幕府へ上知するように命ぜられた。幕府は友央の旧領(加茂郡寺前村、大野村、吉田村、小野村――佐見川の上流現白川町)が新田と古田が混在をしていることを理由に、換地を命じたので、苗木領では恵那郡下野村を上知した。時に延享二年(一七四五)、これによって下野村は一部をのぞき、幕府領として明治維新まで続く。このように何かの理由で藩領から幕府へ上知された村は当然幕府代官の支配下となっていった。この苗木領上知の時の代官(郡代)は地方巧者といわれた井沢弥惣兵衛であった。
 以上でわかるように、幕府代官は私領にとっては、気を配らなければならない存在であった。地方支配は代官支配であり、現在の行政・司法・立法の三権を把握して幕藩体制を維持し続ける存在であった。