江戸中期以後は郡奉行は一名となり、郡奉行添役が加わり郡奉行を補佐することとなった。郡奉行の下に代官がいて直接民政支配に当った。正保二年(一六四五)には六名の代官が置かれたが、その担当区域は左の通りであった。
一 | 地下(じげ)の村々 | 町 日比野村 上地村 |
一 | 北方村々 | 黒川村 中屋村 須崎村 柏木村 久須見村 宮代村 大沢村 下野村 神土村 越原村 有本村 名倉村 油井村 田嶋村 打尾村 広野村 若松村 久田嶋村 成山村 |
一 | 五ヶ坂下村々 | 上野村 下野村 田瀬村 福岡村 高山村 坂下三郷 |
一 | 中通村々 | 飯地村 中之方村 峯村 下立村 塩見村 福地村 切井村 赤河村 犬地村 上田村 |
一 | 南方村々 | 蛭川村 姫栗村 毛呂窪村 河合村 |
一 | 瀬戸村 | 瀬戸村 |
この六区分を、享保年中に至って瀬戸村は地下区域に入れ五区分にし、さらに江戸後期(天保二年)に五か坂下区域に蛭川村を加え、中通と南方を一区域に合し、全域を四区分に編成替えを行った。従って代官は四名となった。
なお正保二年と寛文一一年の代官は次のようになる。