大名の政治機構は幕府のしくみに倣(なら)ってつくられているから大きな差はないが、岩村領には、家老、側用人、勝手用人、物頭、大目付、馬廻、取次、近習、中小姓、郡奉行、山水奉行、代官があって職務を分担して領内の支配にあたった。行政的には領内を四つにわけて地方支配をした。その区分は時により変動しているが大略次の通りであろう。
上郷 富田 大円寺 阿木(枝郷とも) 飯沼(枝郷とも) 東野 中野 永田 飯羽間(上中下)
中通 野井 藤 久須見 佐々良木 椋実 殿畑 馬場山田
下郷 駄知 神箆 清水 市原 大草 一日市場 山野内 河合 浅野 肥田 定林寺 細野 柿野
川通 上村 飯田洞 横通 木実 志摩 漆原 小田子 下村 串原
(天保四年、飯沼村庄屋弥兵衛が領内廻村の時には、上郷一四か村、下郷二一か村、川通り一七か村の三区分にしている。)
以上のようであるから、中津川市関係分の阿木、飯沼は上郷に入っていた。地方支配の役人には郡奉行、代官があって、領内の検見、勧業、土木、追捕、訴訟、収税、宗門改めなど諸般の民政を掌り、代官の下に手代を若干名置いた。又特に山水奉行、国産掛を置いて山林の管理と殖産の方途をはかった。後の松平氏の時代(享保二〇年)に加増され西美濃及び駿河の自領にも郡奉行、代官を駐在させた。前松平氏の時代は、各村ごとに代官をおいたようである。