飯沼の吉村家文書の中に「飯妻村法之事」という文書がある。これは一一か条からなっており、岩村表へ差出した控と考えられその主文は左の通りである(市史・中巻別編)。
飯妻村法之事
一 御倹(検)地請百姓 村役三代相勤候家筋者 長百姓被致候 何事も時之村役人同様ニ可致筈(長百姓について)
一 村役壱代勤候衆 御上之御用相勤候者ハ頭百姓与(と)致し 其次ニ相立テ可申事 (頭百姓について)
一 高石何程扣(ひかえ)候共 右無之家筋ハ小百姓と申祭礼佛事 長百姓差図相背申間敷事(小百姓)
一 無高并(ナラビ)ニ見(身)分何程軽キ者ニテモ 一度軍役相勤候家筋ハ長百姓同様可致筈 勿論 織田信長公御検地請之百姓 慥ニ相続致来候者ハ無高たり共 無高同様ニハ致間敷事(軍役に就いた者=長百姓同様、信長検地請=無高より上格)
一 小百姓之義ハ表向之節 上下(裃) 袴ハ不及レ申ニ羽折(はおり) 下駄 傘等用申間敷候事(小百姓の服装制限)
一 他所ヨリ田畑等求引越候者ハ村役相勤不申候 以前ハ小百姓同様之事(移住者の所遇)
一 外ヨリ聟養子等ニ参リ候者ハ家筋何様ニ御座候とも一代ハ延(遠)慮可致事(聟養子と村)
一 無高ニ相成一度田地ヲ借リ家作致抱ニ相成候者ハ 後日ニ村役勤候共役義離候ハバ 地親之家筋江ハ前々通相心得不埓成義申間敷事 并ニ田地之内家作致抱ニ相成者ハ親類ニ取立候内ハ永代家来同様之事(潰百姓=家抱について)
(次の二条略)
一 惣テ太閤様御世粕谷内膳様御倹(検)地請之百姓 長百姓四、五人ニテ申出候義ハ 村役人たり共私ニ押申間敷事(長百姓と村役人の関係)
右拾壱ヶ条内 前以九ヶ条ハ大永三年正月(一五二三)相定メ罷有候処 其後二ヶ条相加江 天文弐拾壱年(一五五二)御役所江書付差出有之候処……(以下略)
その後も寛永一五年(一六三八)、元禄八年(一六九五)に差出しをしている村法である。