元禄一六年(一七〇三)は丹羽氏の後をうけて、岩村入城した大給分家松平氏の施政出発の年である。領民に対して「条々」(村方法度)を布達した。この法度は全文三〇か条ですべて村役人に関係あるが、庄屋は「こうせよ」と明記してある分のみをあげてみる(市史・中巻別編五三〇頁)。
○庄屋心がけ――――きりしたん宗門入念相改
○庄屋出合―――――旅人・病人・喧嘩口論
○庄屋へ届出――――往来者二夜以上宿泊、村民旅行に出る時
○庄屋吟味―――――博奕、出火
○庄屋も連帯責任――隠田、かくし鉄砲
○庄屋見廻―――――火消道具 水籠
○庄屋を通せ――――村民の公事訴訟
○庄屋は早速馳参れ―城下町出火
これは岩村領内という一私領のものであり、年貢収納という視点では直接的な関係にない「村方取締」的なものが多い法度であるが、庄屋の任務が村民の生活全般にわたっていることは充分知ることができる。