阿木、飯沼の庄屋給

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岩村領である阿木村、飯沼村などについては、元禄一六年(一七〇三年)の各村別の差出帳にはっきりしているから、それをとりあげると、
 
 ・飯沼村
 一 庄屋給分役高 四〇石諸役村除ニ御座候組頭給分一人付役高一〇石宛村除ニ御座候
 ・大野村
 一 庄屋給無御座候 但シ庄屋持高之内高五石目幷組頭壱人ニ持高之内弐石目右之分出高役村ゟ除来候御事
 ・阿木村
 一 庄屋請分 一人ニ付諸役高五〇石村ニテ除来り候 請分地役村ニテ除キ候
 ・広岡新田
 一 庄屋給分無御座候 但シ庄屋持高一〇石目諸役村ゟ除来候 組頭給分無御座候 但シ二人分ハ一人宛持高之内高三石目諸役村ゟ除来候事
 
 この四か村の他に福岡新田村、両伝寺村(庄屋なく組頭代行)、青野村(庄屋なく組頭一名のみ)の三か村があり、この他に川上村を入れている場合もあるが(ただし庄屋なし)様子は前記四か村と同様であろう。つまり岩村領である八か村の場合は庄屋給何石という規定でなく、庄屋を勤める家に対しては、その持高のうちより何石かを諸役免除にしてやるという形であった。その持高何石諸役村より除いてやるかは、村の大きさによってちがう。それを簡単にまとめたのがⅠ-45表である。

Ⅰ-45 元禄一六年、庄屋給分として諸役村除きの高