飯沼村の五人組

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五人組が幕藩支配徹底の組織として、さまぎまの役割りをはたしていたが、この五人組がどのようであったか、飯沼村宗門改帳(享保三年分)に記入されている同村の五人組の様子をみると、庄屋伊右衛門のもとに、飯沼村を二分して受持つ組頭弥兵衛と儀右衛門がおり、弥兵衛組下には庄屋、百姓代、自家を含めて六つの五人組があり、儀右衛門組下には五人組三つ、四人組一つ、三人組一つの計五つの五人組がある。旦那寺禅林寺は一応別格である。こうして飯沼村三二七名(二歳以上)を村役人が支配指導し、幕府や岩村の指示を伝達したものであろう。このことを図解するとⅠ-48表の通りである。

Ⅰ-48 飯沼村の村支配図

 飯沼村枝村大野村について、同様のことを同村享保五年(一七二〇)の宗門帳でみてみると、庄屋(伊兵衛)のもとに組頭(金右衛門)一名、その下に五人組二つ、四人組一つの計三つの組があり合計八七名(男四三名、女四四名)となっている。