前に述べた五人組頭遵守誓約では、千旦林村三百石方は一二名の五人組組頭がいることがわかったが、明治二年の「永代売渡申田地之事」(幸脇家文書)によると、五人組組頭が九名になっている。その地域分布をみると、新右衛門、安太郎(六地蔵)、勘助、甚蔵(かじや平)、松之助、勘右衛門、源蔵(中平)、嘉蔵、弥六(三津屋)となっている。木曽方、久々利方、三百石方の入相支配である村内で、この給地がどのように分布していたかを知りうる資料にもなるが、この千旦林村は同じ中平地域にも三百石方以外の百姓がいるはずだから、宗門帳の五人組は知行主ごとに決められたが、それとは別に地域ごとに私結合による組があった。念佛講なども結合の一例である(第四章第七節信仰参照)。
Ⅰ-50 盗材五人組請状