検地

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検地とは、太閤検地以後、主として江戸時代の土地調査をいい、秀吉による全国検地以来一般的なものとなり、江戸幕府の制度による土地調査は「検地」と公称されるようになった(平凡社刊世界歴史事典第六巻)。
 しかし、土地調査は土地支配のためには、必要なことで古代から行われており、大化元年(六四五)孝徳天皇の詔書、鎌倉時代北条泰時の太田文、室町時代足利義輝の天文縄(天文二二年=一五五三)、などがそれである。
 また、飯妻村法之事[飯沼村]の第四条目に「無高并ニ見(身)分何分軽キ者ニテも 一度軍役相勤候家筋ハ長百姓同様可致筈勿論織田信長公御検地請之百姓慥ニ相続致来候者ハ無高たり共無高同様ニハ致間敷事」(~~線編者)とある。この村法は江戸時代に入ってまとめられたものと推定されるから、まったく信頼することは無理かも知れないが、文面通りにとると、飯沼村は信長時代に検地をうけている。(信長は永禄一一年近江で検地、元亀二年伊勢、天正二年山城、天正一〇年信濃まで検地を行ったが、その方法は旧領主に、その土地の台帳を提出させるものであった。)