幕府による石高調査は、元和、寛永、正保、元禄、享保、天保と行われるが、幕府命令の総検地は石見検以後はない。
それにかわって、幕藩支配体制の確立の一つとして、各領主は生産向上による年貢の確保をねらって、各領ごと、あるいは村ごとの検地がおこなわれた。
この各大名領の検地を内検という。内検によって検出された新しい土地分は、古新田、新田、切起新田、添新田などの呼び方がされていることが多いようである(第四章第一節参照)。中津川市関係の村むらでは、この内検はどのように実施されたか、内検の年を主にとりあげてみる。