美濃国郷帳(正保二年)の苗木領日比野村は、高九九六石二一の別に「外ニ高参百二拾七石六斗 新開」をあげている。同様に瀬戸村では三一石三斗をあげている。
こういう書き方は、日比野、瀬戸以外の中津川市関係の他九か村には記載されていない。苗木遠山家の政策で新田開発に力を入れたことを示す一例である。こうした立場をふまえながら、検地関係の年代をあげると、次のようである。
寛永一二年(一六三五) 領内検地(藩)
同 一九年(一六四二) 免上ル(秘)
正保二年(一六四五) 免二分上ル(秘)
宝永二年(一七〇五) 領内村々の相地を改める(秘)
享保一九年(一七三四) 地押検地ニ付 伺書
元文二年(一七三七) 領内検地
[(藩)は苗木藩政史研究・後藤時男氏著、(秘)は大山氏手控秘書]