岩村領内の検地について、飯沼村(枝村大野村を含む)阿木村(枝村広岡新田、青野村などを含む)の関係分を以下にまとめる。
飯沼村の場合(年代・検地名・役人名順)
①正保元年甲申二月八日 飯妻村検地
丹羽式部内 西山八左衛門 助兵衛(藤村)大蔵(中野村)
②慶安己丑二月二四日 大野村内検地
丹羽式部内 西山八左衛門 岩村町人 与兵衛
③万治三年 飯妻村之内大野村検地(大野村本田検地) 役人名不明
④寛文七年未八月 飯沼村御検地帳書出高帳つくる 飯沼村庄屋
⑤延宝七年未正月二八日 飯沼村下新田検地 遠藤武兵衛 八木徳左衛門 後藤小兵衛 脇田又左衛門
⑥同年 広岡 大柳 右衛門平 大野村下新田検地
⑦同年 広岡 大柳 右衛門平 大野村切起新田検地
⑧元禄七年 大野村本田改め
⑨元禄一五年 大野村本田改め
⑩享保七壬寅年五月 飯沼村新田畑検地 代官 市川与左衛門他六名 竿長 村奉行 立合名あり
⑪文化六年 大野村本田改め
以上である。「改め」はこの他にもあろう。①、②は本田分(古高)、④~⑦で下新田と古新田、⑩は享保の「寅新田」とよばれる分で、岩村領内各村にある。
阿木村の場合(青野年代記鷹見家文書)
①寛永二〇癸未年 阿木村ニ御検地入候節正月二十五日 青野村江も御検地入 高〆三拾弐石三斗壱升七合四勺と成 御検地御奉行、丹羽三郎左衛門様 樋口平左衛門様(安藤家文書では助左衛門) 林杢右衛門様
②寛文八戊申年 当秋岩村ゟ(より)上田弥左衛門様畝御検地(不作でひく)
十一月廿三日御検地入 高弐拾五石九斗弐升七合三勺弐才と成申候 其節御奉行 御目付 中嶋平兵衛様 御代官小栗長兵衛様御奉行所樋口角太夫様宝田□右衛門様
③延宝七己未年 当未(ひつじ)春中新田畑御改被成御検地入申候 青野村江も二月十六日御検地入 高都合三石五斗二合と成 御検地御奉行ニハ近藤武兵衛様 八品徳左衛門様 後藤小兵衛様 脇田又左衛門様
④享保元丙申年三月 場広林改帳面差上候
⑤享保六辛丑年 元禄十五午ノ年以来之新田畑并切添等吟味仕書上候様ニ去冬被仰付候付 当暮致吟味書上申候
⑥享保七壬寅年 去年御改書上候 新田畑二月中旬ゟ(より)御領分中御検地二手ニテ御出被成候 当村御検地ハ四月四日也 下田中下畑壱反三畝八分 高壱石四升八合目御免定壱ッ五分納米壱斗五升七合当寅暮ゟ(より)初テ出し申候
①、③、⑥が年貢収納目的の基本検地で、領内各村同じである。ただし①については、阿木村は飯沼村より一年早い。③、⑥の新田検地は、同年である。
これらの外に、後年のものとして、文政一三庚寅六月、広岡新田の荒地改め、天保二年の畑田改めなどがある。