検地の要領

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太閤検、石見検など一般に検地は一か村を単位として、その年貢収納の対象となる全生産量(米のみでない)と、その耕地を調査し、村全体の生産力を決定し、田畑の生産を中心に、それを「高……」の形であらわす。だから、高は、村むらの査定された生産力(標準生産力)で、高一石は米一石の生産力があることを示している。
 幕府は、これをもとに、各村の経済力をつかみ、授封、転封などを行ない諸大名を統制した。しかし、時代が進むにつれて、生産量に変化が生じてきても、この村高は変わらなかったので、この村高(表高)は生産から離れて、領知高、拝領高ともいわれ、これは年貢面からは、古高(本田分)といわれていた。これに対して、大名が開発した耕地を、各領限りの検地(内検第二節)で、年貢増収納目的であげてきたのが、新田高である。古高、新田高とも検地によって、決定されてくることは同じであり、検地に必要な人と事柄を以下にあげてみる。
 ①検地に必要な人~検地奉行、その手代(下役人)、目付役、竿取、案内役などがあげられる。いずれも総検地奉行の下に、二組以上の班を編成して実施した。
 ②土地の分類(地目)~年貢収納の対象となる土地を産物によってわけ、田、畑、桑、楮、茶、山野、それに屋敷などにわけた。この中で年貢収納の正税(本途物成)となるのは、田、畑、屋敷である。
 ③範囲は一か村を単位として、百姓一人ひとりの耕地を一筆ごとにはかる。
 ④測量するもの(物差)として、検地竿、または縄をつかう。太閤検では、一間を曲尺六尺三寸、尾張の内検は、六尺二寸五分、縄の長さは三〇間のものを使う。竿が主であって、これが使えない場合に縄を使う(湯舟沢村検地掟覚・島崎家文書)。
 [参考]一間竿ハ二間竿ニテ一丈二尺二分 一間ニ一分ヅツ 砂摺よけテ盛込 一寸廻り位ノ竹 本末ヲ銅ニテ張り 一尺ヅツ目ヲ盛 三尺目 一間目ノ印 不紛様ニシテ用ル(地方凡例録)
 ⑤はかり方~はかる場合は 畦代(あぜしろ)、溝代(みぞしろ)分として一尺除く。場所の悪い所はもっと除く。尾張領では三尺除いたともいう。しかし江戸時代の後半の同領では、しっかり測って、面積を出し、その二割三分引にしたといわれる(尾張藩石高考)。
 ⑥一反~田の長い方を長間、それに対して垂直にまじわる長さを幅間といった。三〇歩が一畝、三〇〇歩が一反である。中津川市内の記録では歩以下について、木曽衆関係分は、三歩、六歩、九歩、一二歩と三の倍数で二七歩までいくのが殆どであるが、苗木、岩村両領の村ではそうなっていない。
 ⑦桝~京桝を使う。庄屋記録によると、きびしい管理をしている。
 ⑧地位(じくらい)~村単位に土地が肥えているか、やせているか、乾く田か、沼田か、上、中、下、下々にわけて等級をつけた。この基準収穫量が石盛である。
 ⑨記録~この検地現場で書くのが野帳、それを検地順に一筆ごとまとめたのが、地帳、さらに収納の便宜のために、村役人が百姓名でまとめたのが名寄帳となる。検地帳、名寄帳とも現存するものは、百姓の上に張紙があったり、手あかで汚れていたり、何年かにわたって使用されたあとがうかがえる。写しなおしたものもある。
 ⑩水巻~検地の結果を百姓ごとにまとめて渡したものが水巻である。これによって耕作の保証と年貢上納の義務がかせられた。水巻の一例として、大津屋善左衛門のものをあげた。

Ⅱ-6 中津川検水帳の表紙

   喜多野喜助分
    大津屋善左衛門
   川井田
 一 下々田二畝六歩
   分米壱斗七升六合
   道下
 一 沼中田壱畝三歩
   分米壱斗二升壱合
   同所
 一 中田八畝九歩
   分米九斗九升六合
   同所
 一 沼下田壱反壱畝弐拾七歩  
   分米壱石七升壱合
   家下
 一 下々田六畝歩
   分米四斗八升
   同所
 一 下田弐畝拾八歩
   分米弐斗六升
   同所
 一 沼上田五畝六歩
   分米六斗七升六合
   同所
 一 中田九畝九歩
   分米壱石壱斗壱升六合
   志水田
 一 下々田弐畝拾八歩
   分米弐斗八合
   大西
 一 沼下田弐畝九歩
   分米弐斗七合
   同所
 一 下田六畝三歩
   分米六斗壱升
   同所
 一 沼中田六畝九歩
   分米六斗九升三合
   同所
 一 沼下田六畝弐拾七歩
   分米六斗弐升壱合
   田〆七反弐拾四歩
   分米〆七石弐斗三升五合
   内
   中田壱反七畝拾八歩
   分米弐石壱斗壱升弐合
   下田八畝弐拾壱歩
   分米八斗七升
   沼上田五畝六歩
   分米六斗七升六合
   沼中田七畝拾弐分
   分米八斗壱升四合
   沼下田弐反壱畝三歩
   分米壱石八斗九升九合
   下々田壱反弐拾四歩
   分米八斗六升四合
      (以上本田分)

   家の本
 一 中畑壱畝拾弐歩
   分米壱斗四升
   同所
 一 上畑壱畝拾弐歩
   分米壱斗六升八合
   同所
 一 上畑壱畝九歩
   分米壱斗五升六合
   同所
 一 下畑五畝六歩
   分米四斗壱升六合
   藪下
 一 上畑三畝弐拾壱歩
   分米四斗四升四合
 一 屋敷壱畝三歩
   分米壱斗三升弐合
   畑〆壱反四畝三歩
   分米〆壱石四斗五升六合  
   内
   上畑七畝拾五歩
   分米九斗
   中畑壱畝拾弐歩
   分米壱斗四升
   下畑五畝六歩
   分米四斗壱升六合
   田畑〆八反四畝拾七分
   分米〆八石六斗九升壱合
      (以上本畑分)

   新畑
   寺ばた
 一 下畑拾弐歩
   分米弐升
   家の上
 一 上畑弐畝拾五歩
   分米弐斗弐升五合
   藪下
 一 上畑壱畝九歩
   分米壱斗壱升七合
   同所
 一 上畑弐拾壱歩
   分米六升三合
   新畑
   〆四畝弐拾七歩
   分米〆四斗弐升五合
   内
   上畑四畝拾五歩
   分米四斗五合
   下畑拾弐歩
   分米弐升
  本新
   田畑合八反九畝弐拾四歩  
   高合九石壱斗壱升六合
      竹中六郎兵衛 印
      三村泉左衛門 印
      沢田 伝 六 印
      大脇第右衛門 印
  貞享元暦
   甲子四月五日
      田中 善兵衛 印
      磯 文左衛門 印
      宮川新右衛門 印
      原 藤左衛門 印
      堀尾作左衛門 印
      (以上 新畑分)