こうして、享保九年三月一九日~三月二十一日、湯舟沢村検地が木曽谷のトップを切って開始された。この検地にあたって、役人たちの心得が「検地仕様の覚」である。神坂の島田家文書(御領検地掟書写、湯舟沢村庄屋が写したもの)によると、次のようである。
検地仕様の覚
一 郷村の能成(よくなる)も 悪敷成(あしくなる)も百姓之身上能成も、悪敷も 検地の仕様なり 只今令検地水張ニハ 五拾年も百年も至計後之末代迠も致収納高役をも勤通し、然るに検地之仕様疎略ニテ 仮ハ壱反三百歩之物を間違(まちがえ)て弐百七拾歩モ有之様縄を入 又ハ上中 之位(くらい)違 年貢米金不足ニ成 則 其田畑作ル百姓ハ身上致破滅 或ハ古郷ハ立退乞食流浪之身トなり 或ハかへし奴婢となりて 其処ニ苦ミ 諸親類共々ニ令悲歎ハ因果之其科難遁冥々照覧も難量 其百姓壱人不限退転之跡請取作百姓の 又々如此なるべし 然ハ検地ノ大切之物あらずや因玆(ここに) 其有増(まま)を書形也
(検地の意義をいっている。検地の仕様が年貢米、百姓の生活に、五〇年、一〇〇年後まで影響する)
一 縄打一組に大躰(だいたい)四人宛有之物也、致其頭の仁ハ検地功者して 物毎詮議不正して差引難成事ニ候間 万事可被入念事
(検地一組四名 主任は検地功者がする)
一 郷村を請取其村江入候ハ 先郷ト境を見廻り高何百石之所 田畑屋敷共々何拾町可有之と大積を改見分 前々水帳ト引合を能く考 仮ハ此村ハ前縄詰リ位之次第も違百姓居体を□別し被及見レハ 縄を少緩打可申候 縄大将之心持ニ依テ左様ならハ郷村をハ自然前高より少も引込筈候ハバ不調法成らんと存弥縄を詰てうたせ申族も可有之 言語道断沙汰之限之譬前高より引込しらんとも 出しらんとも少も無構 只正路成所肝要也
(村へ入っての心得として、前水帳をみる、よく見廻って 大積りをつかむこと、前より引込んでも 出てもかまわない。正しく検地することが肝要である)
一 上中下之位を付るニハ 前之場所を名主百姓ニ尋問 眼力と引合□申べし 前帳ハ上ニテも中下直す事も有べし 中下之上ニ成事も有べし 畢竟(ひっきょう)土之見積り場所にもよるへし 上目ハ少悪敷く共 用水のかかり能所ハ郷村所ならい中も上にも打つべし 然共屋敷の所に、下田有郷 免ニも 中田上田も有の一様ニハすべからず 能く心をつくすべし
(上、中、下の等級をどうつけるか、名主、百姓によくきき、観察もよくしてきめる。用水かかりのよい所は悪い土地でもよい。しかし村によって一様にはいかない)
立毛にて位を付 段々心持有土目もあしく旱損之田ニ雨次第能年ハ作も能出来 湿気ミの田畑も旱之年ハ能出来仕落事有 下田下畑も能作人のこえを多く入 草を能取能種苗を蒔植候得ハ上田上畑之如くに出来又不断水かかり大略成場所も旱ニよって作も出来悪 大雨ニテ畑ひへ申ニ付うえりかぬる事有 然を場所ニも土目にも作之致様ニもかまいなく立毛の見分計を以て上中と完申儀可有考悪事
(立毛による地位つけは、乾田、湿田、天気、耕地の手入れによって違うから、立毛を見ただけできめるのは、よいことではない)
一 縄頭又縄差図仕仁(ヒト)兼竿取功者ニテ能者計ハ無之候 不段躰之者ハ功者之仁ニ能く問聞又ハ百姓成とも誰なりとも検地之仕様よく/\聞して 縄を打申所 能く不功者ニて功者振を仕縄を入候付 殊に検地を緩かに打も有又切詰テ強打百姓迷惑仕限ニ縄を入も有此考難挙書面事
(縄頭、主任は功者とは限らない。よく分かっていないのに功者振りはよくない。よく聞いてやること)
一 縄を打候ニ朝と晩と 又風雨之時ニ深田浅田之所ニより間之延縮ミ(のびちぢみ) 上中下之位甲乙段々打損有之
(縄打の時間、天候、深田、浅田によって延縮があるから打損ないように)
一 山田塩入場野□又地性悪舗(しき)田畑ハ竿の入様少緩候(すこしゆるく)ニ打者也 上田又ハ屋敷廻りのとく切詰て打候得バ作人迷惑仕者也
(悪い田はゆる目に打つ、屋敷まわり、上田といって詰めて打っては作人が困る)
一 田畑共ニ様々形の悪敷(あしき)有 竿の入様不知してハ過不及の違有之候間 野へ出さる以前ニ色々の形をいたし初心之竿取共ニ打せ見テ合点不参所を能く指南可仕 扨(さて)其場所ニ至てハ立廻り/\両方より形の出入を見つくろい竿を入可被申候事
(形の悪い田畑の検地の仕方は 前もってよく練習をすること、現地ではよく形を見きわめてから竿を入れること)
一 田畑ニより長キ所打候て何拾間と呼ぶ時の聞違(ききちが)ひ又ハ帳の付違(つけちがい)在物也 間数帳書付ル時 二度も三度もよく/\聞届可付事
(長い田畑で、聞違えて帳付をすることがあるから、二~三度よく聞くこと)
一 竪(たて)縄ハ少違候テモ不苦候 横(よこ)縄ハ少し違ても長ミニかかり之故 過分之違成候物也 然上横縄をハ其一組之頭か功者成者打申物也
(タテ縄とヨコ縄について、ヨコの違いは大きいから 功者が打つこと)
一 竿取之打様悪敷法過分之違有殊初心成者竿取之時ハ跡分又頭竿ニテ改 又ハ田畑打仕廻宿ニ帰りして少も障有之ニおいては初心成竿頭をハ五拾間、六拾間之場所を幾度も打せ次第ニテ改吟味仕候得ハ 日数を重年ニ右の詮議ニテ初心成竿取も後ニハ能成不違物なり 万事頭之聞入入吟味肝要也 一日に二三度程も次竿を致改違無之様ニ大事故可入念事
(竿入れは大切だから 初心者は宿に帰ってからよく練習する。竿頭は初心者によく教えてやる)
一 何事にも入事候得共 中にも検地之時 腹不立行を仕可然也 腹を立してハ心も混乱し違可有之儀ハ面々之考ニも可有之
(検地の時、腹を立てるな、腹を立ててやると違いができる)
附下々ニ至迠百姓ニ□にくハ非儀成事不掛申面ニ誓紙并法度書之通情之肝要也
一 名主并宿などの田畑をハ緩く打者可有之 又利口を顕く面痴悪敷百姓などの田畑をハ強く打者可有之間頭□□之しめし肝要なり
(宿主名主の田畑を緩くうって、気の入らない百姓分を強く打つことはいけない)
一 縄打を悪候得バ 必違有之物なり 如何ニも静に心を緩やかに構 人より仮一日二日遅く打仕廻共 大切之検地ニ候間成極可被入念事
(縄打ちは、静かにして入念に打つこと。そのため二~三日おくれても仕方がない)
一 野帳ニ上中下を付る時 心覚を致 一郷の之しめを仕候時 上多時ニ中ニ直し 下すくなき時に中を下に直し 野帳を以差引仕様ニ心覚可有候 無差候得ハ 一郷之しめ仕候時行当□事可有之 是ハ大事と存向を付向と不付被念を入て不入之との二ツなり万事頭の分前第一也
(現場で上中下をつける時心覚えをしておいて、一村中のまとめの時に、全体のバランスをとる参考にする)
一 縄を入検地仕候ハ 田畑広キ狭キもなく上中下之位違ぬ様ニ扨(さて)又壱々の百姓年貢役米をも損失なく万正路ニ可有之候ためなり 然処不功者之縄打カ又ハ奢い怨り計 慈悲成人か 気荒成仁か 其上不入念テ百姓歎々村も悪敷成候様ニ検地被致候得ハ沙汰の限ニ候。
(検地は万事正路の行政のために行うのである)
一 検地ハ末代のために候間 堀之狭キを少広計 曲たる道川を直くに仕度と申 旱損場有之テ溜池と仕 水損場にて落堀川除を仕度などと訴訟申ニおゐてハ所之代官手代と立合以来無相違様ニ急度申渡縄を除可被申事
(検地と村普請の関係で、検地は末代のため行うのだから、道修理、溜池、川除場などの申出は、代官と立合って、縄打ちからのぞくようにする)
一 片さかりの畑なるにも 北むきようハ立毛出来悪申ものに候間 たとへ上の場成とも中下ニ仕物ニ候 但所ニもよるべし
(片さがり北むき畑は立毛は悪いものである)
一 田之中之嶋畑はこえ斗も引ヶ人馬の通ひも悪敷作毛実りかぬる物ニ候 所ニハ依可申候ても免此考可有之候 但人居も近く大キ成嶋畑ハ中ニも見分次第大方ハ可為下畑事
(島畑=田の中の畑は、たいていは下畑と考えてすること)
一 南ニ森を請し候 又は屋敷廻りハ斗 竹木茂日影之所ハ 田畑共ニ耕作出来悪物ニ候段上田畑之ならひ候共見合 中にも下ニも打申物也
(日陰田畑は上でも中~下にさげる)
一 新開場ニテ田の中小百姓屋敷を構居申者ハ廻り竹木とも柱(植)屋敷之検地詰り候得ハ以来百姓道付通ル物ニ候
附本村之屋敷検地も右同断廻り之木竹茂り又竹様も生へ申物ニ候間ハ之亦少緩く打可事
(新田の田の中の屋敷の検地は大目にみる)
一 検地打初より其日うち候をは帳ニ付 仮夜更し共野帳ニテ其夜之内ニ図かき上中下之田畑之図をも致反高を見 其日限ニ埓を明可罷候 一日致油断候得ハ 上中下ニ改付之心覚も忘 其上毎日之帳共重り候得ハ二三日も四五日も 其村ニ逗留致候得ハ勘究清帳不出来□ニ候 左様之時ハ其時之百姓縄打衆永く逗留致迷惑又ハ過不足田畑之上中下之安否不落付致迷惑物也 此日打しをば 今日清帳いたし 清帳ニテ読合□ついを念入致野帳と無相違時上中下之位をハ不付ニ候 村中百姓を呼其清帳を百姓ニ渡奉行を付読合いたさせ 図違間違各違所付違有之哉と相尋差違し所もって遂僉儀を直し可申候
(検地した夜、夜更し共、図を書き、上中下をきめて反高を出しておく。これをしないと村逗留がながくなって迷惑をかける。清帳にまとめたら、百姓に渡して間違いないか確かめる)
~以下略~
全体として「正路第一」百姓に納得のいく検地をするよう、気を配っていることが全体から汲みとれる(市史・中巻別編)。